病院長 髙蓋 寿朗
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病院長の高蓋です。
昨年,当院職員に向けたあいさつの中で,「ストーリー(物語)のある病院にしましょう!」という話をしました。日常の診療を通じて,自分たち,そして地域の人達の心にずっと残るような仕事ができたと言えることが,きっと職員のモチベーションにつながるという思いからでした。
もちろん,私たちは,患者さんに「舟入市民病院があってよかった」と思っていただけることを願って日々診療にたずさわっており、これまでも多くの「ストーリー」を作ってきました。
当院は,1895年(明治28年)に開設されましたので,来年2025年で130周年を迎えますが,この歴史の中で生まれてきた,いくつかの「ストーリー」を紹介します。
1. 1895年,日清戦争の戦地であった大陸において流行していたコレラなどの感染症の国内への流入を防ぐため似島に開設された「臨時陸軍検疫所」で感染が確認された患者さんの継続療養を引きうける「避病院(伝染病院)」として設立されました。
2. 1945年8月6日,原爆投下に際し全焼し,16名もの職員を失いながら,その約10日後には福屋百貨店の建物内で臨時病院を設営し,被ばく者の救護にあたりました。
3. 1970年代からは,小児科,内科の休日夜間救急診療の拠点として,高度成長期の広島を支えてきました。2006年末から内科救急は広島市民病院が全面的に担当することとなりましたが,その後も小児科救急診療については,広島市都市圏全体をカバーする拠点として機能しています。
4. 2009年の新型インフルエンザ,2020年からの新型コロナウイルス感染症といったそれぞれのパンデミックに際しては,最前線の砦として,これらの疾患に立ち向かってきました。
そして,今,世界で最も進んだ少子高齢化社会を迎えて,2030年に広島県が中心となって設立する新病院への小児診療機能の移転への対応,高度急性期病院から患者さんを早期に受け入れて継続治療を実施する機能・体制の拡充,さらには,次なる新興感染症への備えとしての機能の維持・向上など,社会環境の変化に対応する医療の提供に向けた準備を進めています。
当院はこれからも,その時代に求められる機能を担いながら,「本当に困っている人を助けたい」という信念を持ち,市民のみなさんに信頼される病院でありつづけたいと思っています。
これからも,舟入市民病院をよろしくお願いします。
2024年(令和6年)9月
広島市立舟入市民病院 病院長 髙蓋 寿朗
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